野口 眞人

一路土佐へ

 関西寒蘭会の恒例行事として定着したお棚拝見だが、参加させて頂くのは初めてである。いや、それどころか、およそ寒蘭の産地と呼ばれる地方に行くのさえ、全く初めての事だ。寒蘭の栽培を始めておよそ二〇年になるが、事情が許さず、産地を訪問する蘭友を横目で見て、じっと我慢を決め込むしかなかったのである。そんなわけで、まるで遠足前日の子供の様な状態で、出発二日前ともなると、何やらソワソワとして仕事も手に着かぬ有様である。全く我ながら情けない。
 十一月十八日午前七時に宝塚集合との事で、京都からでは集合時間に間に合いそうもない。そこで事業部の渋谷氏にお願いし、前日の夜は宿泊させて頂く事にした。渋谷氏のお宅に到着し、お棚を拝見した時点から、仕事も日常生活も完全にふっ飛んで、最早蘭しか見えなくなる。品種の事、作の事、色出しの方法、花の整え方等、ビールを飲みながら、十二時過ぎまで話し込んでしまった。
 一夜明けて十八日当日、昨夜の興奮状態が持続したためか睡眠不足。早朝の駅を宝塚に向かう。車中に差込む朝日がやけにまぶしい。定刻前に宝塚に到着、田中氏、河合氏も相次いで到着される。しかし肝心の平崎氏の車が来ない、渋谷氏が電話で確かめられたところ、六時前には家を出られたとの事。集合場所を間違えたのかも知れないと、手分けしてあちこち捜してみるが、到着した様子はない。じりじり待つこと四十五分、ようやく到着される。折り悪しくAPECによる交通規制の為、渋滞に捕まったとの事で、早々に赤松インターに向かう。
 赤松では既に、山内先生御夫妻、圓尾氏、近藤氏、船井氏、鎌田氏、河原氏がお待ちかねで、挨拶もそこそこに、一路高知へと出発する。途中二〜三度の休憩を取り、本四架橋を越えた辺りから、いよいよ胸の高まりをおぼえる。山内先生が「四国山地の紅葉はどうかな。」と言われた途端にトンネル、抜けたと思えばまたすぐ直トンネル。結局二十本近くのトンネルの連続で景色は見えぬままである。忍耐の限界を感じ始めた頃、全く唐突に太平洋が眼下に広がる。高知だ、愛してやまぬ寒蘭のふるさとだ。心なしか陽射しや空気までが違って見える、やはりここは南国である。

土佐愛蘭会本部展

 スタートが遅れたにも拘らず、予定通り十二時三十分に土佐愛蘭会本部展会場に到着、渋谷氏夫妻、吉富氏夫妻、坂本氏と合流、土佐会の本部役員の方の御接待で昼食をいただき、一休みしてから本部展を見学する。
 優勝は一文字大輪咲きの秋水で、さすがに見事である。素心では素光、川登、白鳳等が思いっきり大輪に咲いている。中でも白鳳は、ここまで大きく成るものかと、驚きとも感動とも着かず唖然とする。川登も今までに見た花のどれよりも大きく、カッチリと花型を決めている。土佐会の役員の方の話しによると、皆がチャボだと言うのでチャボという事に成っているが、登録はチャボでは無いとの事であった。桃花では三世冠が目を引いたが、桃と言うにはあまりにも色が濃過ぎて、紅花ではないのかと感じた。青花では太湖、阿波の大寿、青峰、無名の広弁花、ベタ舌花等が目に付いたが、新命名の土佐の海、青帝はそれ以上の肉厚弁の花で、単に弁が広いだけでなく、量感の有る花が注目されている様に感じた。紅花は全体に発色が悪く、正しい評価は出来そうもないが、国芳、土佐茜雲等の広弁系の出品が多いように思う。黄花では梅弁金鵄、黄雄、黄龍等、これも広弁花が目に付いた。更紗では無名の新花に将来性の有りそうなものが幾つか有ったので、同行の数人が早速交渉に及ばれたが、結果は聞いていない。
 本部展の総体的な印象としては、全体的に木が巨大で花も大きく、今までに見知っている品種の花容までが違って見えた事である。しかしながら、厚顔無知を省みず、誠に僭越な事を言わせて頂くなら、広弁大輪に咲かせてもなお緊張感を失わない花は少なく、総じて大様な印象を与える事は否めない。また、寒蘭の特質の一つは花容の多様性であるが、これほどに一様な方向を示す花の出品、展示は如何な物かと思う。特に色花は鮮明な色に咲いてこそ花型の良さが引立つもので、くすんだ花色に咲かせたのでは、例え広弁大輪花でも魅力は半減する。最もこれは土佐に限った事ではなく、九州各地の展示会も同傾向に有るとの事で、時代の趨勢ではあろうが…。等と勝手な事を考えながら、それでもちゃっかりと、新命名の広弁大舌の紅花を入手すべく、坂本氏に交渉をお願いする。三五〇鉢近くの花を二度三度見たところでダウン、全員へなへなと座込む。頃合と言う事で宿舎に向かう事になった。

土佐愛蘭会との交流会記録

 さすがに寒蘭の産地である、宿舎の広間の名前も桃麗だの燦月だの白鳳だのとうれしい様な恥ずかしい様な…。部屋割りも決まって、六時半に宴会場に集合、土佐会との交流会となる。
平崎 関西寒蘭会の方には遠路来ていただき、また、土佐愛蘭会の方にはわざわざ足を運んでいただきまして、ありがとうございます。えぇ、本日は関西寒蘭会としてのお棚拝見という事で、土佐の会の方々とも懇親を深めると言う事でこういう場を持たせていただきました。よろしくお願いしたいと思います。先に簡単に話しをさせていただきますと、土佐の会の会長さんに御無理をお願いして、お忙しい中を来ていただきました。それと参与の方で、上田さんと横田さんにも来ていただきましたので、よろしくお願い致します。えぇ、土佐の会長にごあいさつを頂く前に、関西の方のご紹介だけしておきたいと思います。まず、私の方から…。
「事務局を担当させて頂いております、平崎です。」
「山内です。土佐には遅花会の方で毎年お世話になっております。本花会の方はうちの会と一緒になって、六〇周年以来久しぶりです。会長さんにはお忙しいところを、本当にどうもありがとうございました。」
「渋谷と申します。昨年までは審査部長をさせて頂いていたのですが、今年から副会長を命ぜられまして非常に困惑しております。前任の山内会長をさて置いて、こういう場でお話するのは恐縮なんですが、好きな寒蘭の事ですから力一杯頑張りたいとおもっています。ひとつよろしくお願い致します。」
「野口と申します。僕は京都から来ました。京都でも蘭の会をやっておりまして、京都と関西と掛持ちしながらやっているような事です。よろしくお願いします。」
「事業部を担当させて頂いています渋谷です。」
「近藤でございます。よろしくお願いします。」
「河合でございます。」
「神戸から参りました吉富です。土佐には初めて参りました。」
「吉富の家内でございます。」
「山内(夫人)です、よろしく。」
「渋谷(夫人)です、よろしくお願いします。」
「船井です、よろしくお願いします。」
「鎌田でございます。よろしくお願い致します。」
「河原と申します。よろしくお願い致します。」
「神戸の北区から来ました圓尾です。よろしくお願いします。」
「宝塚在住の田中と申します。よろしく。」
平崎 どうもありがとうございました。それでは会長、すみませんが一言ごあいさつを頂けますでしょうか。
土佐愛蘭会会長 えぇ、土佐の会の会長をやらせていただいて居ります田口と申します。どうぞよろしくお願い致します。この度は震災に遭われて大変な御苦労をされたと思いますが、それにも拘らず寒蘭展を開催されまして、それからこの遠い土佐にまでわざわざお出で頂きまして、誠に有難うございます。皆様の力強い行動に感歎しておるところでございます。土佐の会と申しますのは非常に辺鄙な所にございまして、ただ、天与の資源といいますか、西谷物という物を抱えたために、非常に安穏にきた様な感じでございます。割合に、不況になっても落込みがないというのが特徴で、非常にありがたい事でありながら、背負う荷物もまた大きい処でございます。
 御承知のように、土佐の会は蘭展を開催しながら運営しておりますが、関西の会に於いては、確か四十二年に神戸寒蘭愛好会が発足されておる様に記憶しております、それから四十四年に関西寒蘭会が出来「素心」を発行された時に、その第一号を拝見した記憶がございます。誠に貴重な、非常に品のある会誌を編集されておった様に記憶しております。
 えぇ、この寒蘭というのは、趣味者でも二通りに分かれると思います。いわゆる生産地グループですね、山に蘭を自生させておる会と、純粋に各地の寒蘭を鑑賞されておる阪神の方々の御趣味と、それぞれに性質は違いますが、レベルは各地の寒蘭を見て鑑賞眼を育まれている所が上だと思います。生産地の者は採ってきて植えて、それでえぇ花が咲いたら会にでも出してみよかと、そういうような気持ちです。それから経済的な面も加味してくるわけでございます。そういう事からしても、日本の寒蘭の統一は中央の方と申しますか、都会から考えて頂いたほうが良いのではないかと、こういう様な事を私見として考えておるようなわけでございます。
 先日、上野先生にもお話し致しましたが、この度上野先生にも御揮毫願って命名一千号の色紙を書いて頂いたわけです。また、福留先生からも度々お手紙を頂きまして、非常に感謝しておるわけでございます。今までの交流というのは、会誌の交換であるとか、投稿するとかというような事でありましたが、皆様にお出で頂いたこの機会に、さらに親交を深めるようにお願い致します。
 誠に取留めの無い話しですが、一言土佐の会の運営に付いて申し上げますと、会長というのは木偶の坊であると、それで若干事務的な素質があると、サラリーマン出身の方が事務を担っているわけです。実際に会を動かすのは事務局です。会長、副会長は最終的な結論を見出すと、色々な意見を聞いてそれを集約したものを運営に持って行くと言う事だけでございます。私は土佐の会が「高知愛蘭会」と合会した時点から事務を担当させて頂いておりました。土佐の会の、昔からのジンクスでもないですが、寒蘭により詳しい技術的な知識の有る方は割合に会長にはならない、それで、その他の事務の分野の者とかが会長をやる、と言うようなかたちで円満にいっているわけです。と言うのは、何か自慢話しの様になりますが、花が良くて甲乙付けがたい場合が多いと、その時に判断を付けるのが技術を持った方、判定眼を持った方で、その人が会長や副会長をやるという事になると我田引水に成ってはいかんと、いうような処からそちらの方向に進んできている様なわけです。最近は支部体制を敷きまして、各支部が独自に企画、実行を行っております。会誌とかは勿論中央でやりますが、運営に付いては殆ど任しておるというようなかたちでございます。今日になってようやく支部体制が整いつつある、という段階でございます。
 どうかこの土佐愛蘭会の事もお忘れ無く、ご指導をお願いしたいと思います。本当に卒爾でございますが、ごあいさつに返させていただきたいと思います。(拍手)
 それから、ここに居られます上田さんは、皆様御承知とは思いますが、元審査部長でございます。また、横田さんは編集部長として活躍されましたが、両名とも参与になられまして、後進を養成されつつあります。どうかよろしくお願いします。
平崎 どうも有難うごさいました。本来ですと私どもの方も、ここに会長が出席させて頂いて会長自らが挨拶させて頂く処ですが、所要のためどうしても参加出来ないという事で、申し訳ないですが副会長の渋谷さんの方から御挨拶をお願いします。
渋谷 僭越ですが御挨拶を申しあげます。本日は田口会長様はじめ、上田様、そして横田様が、本部展の非常にお忙しい中を御出席頂きまして、非常に恐縮に存じている次第であります。本日は土佐愛蘭会の本部展を見せていただくという事で、私達会員有志の者は非常に胸を躍らせて見ていたのですが、素晴らしい力作を沢山見せていただきまして、本当に有難うございました。
(お詫び)……渋谷さんの御挨拶が続いているのですが、テープが止まっていたのに気が付かず録音できませんでした。申し訳ありません。
 ビールで乾杯の後は飲んで食べてしゃべって、あっと言う間に閉会の時間になる。閉会後も名残惜しく、土佐会の方々としばらく立ち話。また何時かお目に掛かる迄ということで、会場を後にする。

日本寒蘭会展示会

 十九日はまず朝市からと、有志の方は七時に集合するが、前日の睡眠不足で起きられずパス。それでも八時頃に朝市に向かうと、殆ど全員が満足げな表情で寒蘭を下げて帰ってくる。残念だが売店を覗く時間が無い、仕方なく引返す。
 日本寒蘭会の展示会場は高知市の中心部から少し外れた所で、平崎氏によると「ぢぢばばセンター」の隣との事、変な名前だったので覚えていると言う。近づいてみると、なるほどそうも読めるか「ぢばさんセンター」であった。
 およそ二五〇鉢程であろうか、整然と並んでいる。優勝花は確か豊雪であったが、それ以上に酔玉が目を引く。大輪に咲いており、さすがに副弁の切れの良さは失せているが、真っ黒な舌の大きさに引付けられる。
桃花トップの紫織里は淡い桃紫色の地に桃紫の色線を入れた正三角咲き大輪の花で、花軸の上部も同色に染めてラベンダー色を彷彿とさせる。また、芸東小町も同様の花で、日光ばかりが桃花では無いと言いたげである。桃花の範疇では、先バケの葉芸品の中から新花が期待出来そうで、会場にも無名品でラベンダー色の蕾を着けた物が有り、河合氏が交渉に及ばれたが成立はしなかった様である。
 総体に日本寒蘭会の審査基準は、関西各会のそれに符合するのではないかという印象を受けた。すなわち、バランス、花型、花色共によく整えられており、上品で優雅であったが、生命の輝きとでもいうか、おおらかさ、力強さ、瑞々しさがやや不足している様に思えた。花をた矯めれば矯めるほど、命は失われて行くものであろう。しかし、一般の席に並んだ花は、関西各会のそれよりもはるかに多種多様で、さすがに産地の会である。
 渋谷氏御夫妻、吉富氏御夫妻は壽楽園に行かれるとの事でここでお分かれし、残り全員は昨夜の打合わせどおり、坂本氏の先導で東部展に向かう。

土佐愛蘭会東部展

 右に太平洋、左に四国山地の幾重にも重なる山並みを眺めながらしばらく走ると、安田川の辺りに「←馬路村」の標識が見える。「この奥が千本、釈尊、麗冠の産地だ」と思うと、初めて見る山にさえ近しさを感じる。やがて車は左折し奈半利川に沿って五分ほど走り北川村野友の展示会場に到着した。
 会場は中学校の体育館で、舞台の緞帳の前一四〜五mにわたって雛壇が作られ、体育館いっぱいに約四五〇鉢が並んでいる。会場に入るや否や平崎氏が「これを見たかったんや、九州でもこうですわ。これが蘭展ですわ。」と興奮気味に話される。言われるまでもない、こちらだって興奮している、我先にとそれぞれ思い思いの場所に散らばる。さすがに東の蘭の中心地、山出しの手付かずの(失礼)蘭が目白押しである。先ずはパート2、これは釈尊の坪から出た花で、小輪のちゃぼ咲きで釈尊よりも豆丹に似た花である。更紗では品代錦が広弁大舌の大輪咲きで見る者を圧倒し、新花で品代錦に引けを取らない大輪花も数鉢出品されている。また、藤壷も咲き始めで舌を巻切っておらず、優雅でありながら迫力がある。紅花では幡陽紅、炎の川、阿波の赤道、野根小町等が其々特有の色で力強く、或は妖艶に咲いており、無銘品の中にも色、形の優れた物がいくつもある。会場に入る自然光線のせいも有るだろうが、三っの展示会を通して紅花は最も発色が良いと感じた。
 雛壇の中心を占める花は、ここでも前述の展示会と同様に一流の銘品であったが、寒蘭の花容の多様性という観点からすれば、最も納得のいく展示内容であった。すなわち、細長弁で発色の良いエレガントな紅花から、小輪で多花性のキュートな更紗花までという具合で、寒蘭の持つ形態と色の可能性に幅を感じる事ができた。当然ここでも、人気の中心は広弁大舌の花であったが、同時に地元産の花を大切にし「花が咲いたら出品する」という姿勢が感じられた。
 無銘の青花と更紗花に見るべき物が多く、最後には殆ど全員がその辺りに集合し、東部展の役員の方を呼んで、それぞれの鉢の所有者を確認、交渉するが「手放す気は無い」との返事でなかなか交渉が成立しない。私はというと、雛壇のすそに並んでいたベタ舌の広弁青花がいたく気に入り、たまたま近くにいた役員の方に所有者を尋ねたところ、「この花なら自分も持っている」との事で、なんとか成らないかと無理を言ってみる。「近くだから持ってきましょうか」という事になり、何とか交渉が成立しそうな気配であるが、帰る時刻が近付いたので気が気ではない。皆が会場を後にする頃になって、坂本氏の「この人は商売人や無いきに、買い叩いたりせんぜよ。好きな値ぇをゆうてみぃや」の一言で、やっと交渉成立。なんとか思惑の花を手にする事ができた。これで心置きなく帰路に付けるというものである。

おわりに

 各産地会の会誌や刊行物をしばらく見ない内に評価の基準も変化し、従って出品傾向も、目に止まる花も大きく変化した様に感じた。おそらく遠からぬ時期に、豊雪、日光の時代が終焉を向かえるという予感がする。考えてみれば、これはしごく当然の事で、古今東西を問わず、同一の価値が延々と持続したという例は無い。存在は時代を超えるが、存在価値は時代が決定するものである。すなわち、豊雪も無名の並花も、存在するという事実に於いては等しく、存在自体とその評価は無縁であるが、ひとたびその存在価値を問うなら、それは時代にともなって変化するものである。所詮、不変的な価値を蘭に求めること自体に無理がある。では、時流に合ったものだけが良いのかと言うと、そうとも言いきれない。他人の評価や経済的価値にとらわれ、時流に翻弄されるばかりで、東洋蘭栽培の本質を失う。それは余りに近視眼的に過ぎる。
 私が東洋蘭栽培を始めた理由は、それが、存在価値の高い(価格や育種価値の高い)植物であったからでは無く、存在に迫る(自己と花が、相互の存在の実体〔実在〕において対峙する)植物であったからである。存在の価値を問わず、また、その意味を問わずに花と向き合うなら、「人が花を見るにあらず、花が人を見るなり。人が人を見るなり、花が花を見るなり。」と言う心境に至る。これは全くの私的事実ではあるが(註1)、存外、東洋蘭を志した方の多くに、思い当たるフシが有るのではなかろうか。花と対峙する時、その主体は自己でも花でも無く(註2)、見る側と見られる側の区別は無くなる。同時に、部分は全体と同一化し(註3)、良い悪いという判断の立入るすきが無い(註4)。だから、新しい古いも、高い安いも、その他の一切は遊びであると心得る。
 そんなわけで、見飽きた花に勿体を付けるのも、チャボ花もベタ舌も大舌花も、大いに楽しめば良いのではないかと思う。蘭を作る等というのは贅沢な遊びである、世の為にも人の為にもならない。元来、遊びに意味など無いのだ。
 まる二日間、花に狂い花と戯れた事は、至上の喜びであった。京都に帰り着いた頃には、心底疲れ果てたが、同時に、遊びという無駄を堪能する事ができた。蘭と遊ぶのは、本当に良い物である。