以下の記述は関西寒蘭会誌「素心27号」に投稿した原稿です。

              

野口 眞人

はじめに

 大阪国際らん展が春の展示から秋に変更され、全国で初めての寒蘭を中心とした大規模イベントとして行われる。そこで我が関西寒蘭会も、寒蘭同好者のみならず広く一般に寒蘭が普及することを期待しつつ、大阪国際らん展のディスプレー部門に参加することになった。しかしながら大規模イベントにおいて「東洋蘭は影の薄い存在」であり、大衆へのアピールと集客力の大半をになうのは洋蘭である。そこで、ディスプレーを担当するに当たり、いかにすれば東洋蘭の存在価値を大衆に認知してもらえるかという事に付いて考えてみる事にした。

東洋蘭展示の現状と問題点

 事前に神戸蘭展を見学したところ、東洋蘭売店は苗のほとんどを売り切ったとのことであり、事実、東洋蘭を持ち帰る来客数は予想をはるかに越えていた。これは、東洋蘭が特別な設備を必要としない事と、一般には日常的な購入チャンスが少ない事等によるためと考えられるが、東洋蘭愛好者の潜在的人口は予想以上に多いのでないかと感じた。
一方、これらの潜在的東洋蘭愛好者にアピールするためのディスプレー展示に用いられる方法は、日本庭園の模倣であったり、書院風の床の間を想定したものが大半であるが、コンセプト不明、アピール不足は否めない。
第一に情緒においては日本的ではあるがその出典根拠が不明確で、なぜ日本的空間に蘭が在るのかというコンセプトの視覚的説明がなされておらず、東洋蘭の魅力を全般的に解説したものとは言い難い。また、東洋蘭の美的価値感がその拠り所とする東洋的精神背景への言及が皆無であるために、きわめて浅薄な印象を与えていることも指摘しなくてはならない。
第二に大規模な展示会場では、重厚鮮麗な洋蘭に比して東洋蘭の花自体が繊細でありすぎ、存在感が希薄になり易い。花を集団として展示する方法も一部で用いられているが、集団(マス)という概念自体が西洋由来であり、時空の間(マ)を重んじる寒蘭の価値観とも相容れない。大規模展示会場におけるこられの問題は東洋蘭にとって致命的であり、未だに成功例が見当たらない状況が続いている。

審査基準のマニュアル化に付いて

 他方、個別展示部門においては、洋蘭の審査がそうであるように、「東洋蘭においても確立した審査基準(マニュアル)を設けるべきである」との意見があるように聞き及ぶが、このような見解が、東洋蘭の将来を果たして良好なものとするのかどうかも検証してみたいと思う。
本質的に寒蘭展示会が品評会的要素を内包している以上、一般性と公平性を確保しようとする意図は、それ自体きわめて健全な方向性である。もしもそれが完全確実に行えるなら、少なくとも公平性は確保できるかもしれない。しかし、少し考えてみれば事がそう簡単でないことは明白である。
第一に、公平性を保つためには、対象を徹底的に突き放した客観性を持たねばならないが、そんなことが可能なのだろうか。仮に可能だとしても、マニュアルそのものは客観的なのだろうか。東洋蘭の美を、誰がどのように普遍的なものとして決定するのだろうか。
第二に、仮にそれらが全部可能であったとしても、そのような客観的かつ一般的な花が、人々に感動を与える花なのだろうか。経験的にいうなら「欠点もないが、感動もない」という花にはならないか。危惧を覚える。
第三に、対象を即物的に捉えるという方法論は、東洋の文化的伝統になじまないのではないだろうか。詳細は後述するが、花を物質として捉え絶対的評価を行うなどという考え方は、我々の文化的伝統の内になかったように思う。いずれにせよ我々が花を評価する眼とは異質の評価眼である。
一見、公平で普遍的な「マニュアルに沿った客観的で厳正な評価」は、審査をされる側に「納得は行かないが文句の付けようがない」という不満感と、審査をする側に「一般性と公平性が確保された」という免罪符を与えるのみである。
 審査基準のマニュアル化という些細なこと(出品者としては些細ではないが)一つをとってみても、東洋蘭界が混迷の中にあることは想像に難くない。東洋の文化的伝統を踏まえない東洋蘭の客観的審査基準などというものは、誤った方法論による表層的な問題の回避に過ぎないように思える。
そこで、これら大規模イベントにおける東洋蘭展示の諸問題に解決案を導くための手法として、第一に寒蘭の美的構成要素の解析を行い、第二に東洋的価値観に基づく寒蘭の位置付けと演出方法に付いて考えることとする。同時に日本人の自然観や東洋蘭の栽培史、日本及び東洋をテーマとする社会的動向にも注目する必要があると考える。

寒蘭の美的構成要素

 最初に寒蘭の平均的特徴に付いて、一般的な評価を行ってみると、以下のようになる。
一、花弁が細く一般的な美的概念から大きく外れるが、愛好家にとっては「超俗、孤高」等といって好まれる。一般人の理解を超えているという事は、逆説的にいうなら、一般には理解されないという事でもある。
二、仮想の形態を理想的美的基準と考えているために、どの品種にも必ず欠点がある。西洋的価値観にも理想的美的基準は存在するが、東洋のように形(形式、形態)を重要視しない。言い換えれば、寒蘭の美的要素の理解に不可欠なものとしてある約束や決まり(形式)が存在し、寒蘭の鑑賞という行為自体はその「形式ないし鑑賞基準が理解されない限り成り立たない」という欠点を持っている事でもある。
三、葉数の割に花茎数や花数が少なく花が目立たない。これはすべての品種が原種であるために発生する問題であるが、実際には花数の多い品種は好まれない。東洋蘭には完全に人工的なコントロールがなされた本来の意味でのバランスは存在せず、「全体のバランス」といいながらも実際には「よくコントロールされた(矮小化され畏怖することのない)野性」という程度のバランスが存在するのみである。これは日本人の一般的な自然観が凡庸な形式で表現されたものと考えられる。
四、花茎および花が直線的で花間が広く、華やかさに欠け寂しい印象を与える。これを持って「佗び寂」等といわれる所以であろうが、「寂しい花」と「寂」は別物であり、曖昧で感覚的な解釈である。むしろ寒蘭自体の直線的な構成は、今世紀の美術様式である「モダニズム」を連想させるし、全体のバランスよりも「花一輪」の存在感を重視するなら、印象主義の精神背景である「ジャポニスム」を想起させる。
 総じてごく一般的にいうなら、「山野草のような可憐で清楚な花が咲く、目立たない小型の野性蘭」であり、寒蘭の鑑賞という行為は、特定の形式である鑑賞基準の認知と、それを有意味なものとしている東洋的精神背景なしには、美術的価値が存在するとはいい難い。

寒蘭の東洋的精神背景

 それでは寒蘭の鑑賞基準を有意味として機能させている、言い換えれば東洋蘭愛好者の共通認識として理解されている、東洋的精神背景とはどのようなものであろうか。蘭会各誌に登場する「東洋的価値観」に基づくと思われる語句を思い付くままに集めると以下のようであるが、その解釈は多分に情緒的であり、本来の意味から逸脱したものも少なくない。
佗び、寂=趣味などの洗練された厳粛で真剣な、無駄のないきびしい態度を意味し、情緒的な雰囲気のことではない。
花伝書=世阿弥の著書「風姿花伝」の通称。能に関して、修業・演出の心得、歴史、本質などに付いて述べる。蘭界では「秘めたるが花」の意味を誤解あるいは曲解している。ここでいう花は花ではない。
一期一会=時間と空間の接束点としての今、ここ。「行雲流水再び帰らず。」等と同義。特定の個物(例えば今年の花)に出会うことそれ自体ではなく、見る側の覚悟を意味している。これも蘭界では正しく理解されていない。
見るところ花にあらずといふことなし=当然「花」は花でないものをさしている。風流とは「精神の内側で価値の転換がなされること」を意味する。
色即是空=「この世界に存在するすべてのものの本質を問えばすなわち空である」という意味で「この世界に存在する全てのものは虚無である」という意味ではない。これも蘭界では曖昧である。
  空の意味は後述。(本来的には説明不可)
一木一草に仏性が宿る=微細なところにまで真理が存在するという意味で、蘭に仏性が備わっているという意味ではない。
四君子=儒教思想による。儒教自体はモラル集という程度で、あまり哲学的ではない。
この様に、総じて蘭界においては意味が正しく理解されず、イメージ、雰囲気といった曖昧な感覚的理解にとどまっている。従って、東洋蘭界の精神的背景も漠然としている。

日本人の自然観

 ではいったい、我々はどのような自然観を古来より持っていたのだろうか、ここではその変遷に付いて考えてみる。
 仏教伝来以前の本来的な日本人の自然観は、アミニズムよりもシャーマニズムにより近いものではなかったかと考えられるが、いずれにせよ自然崇拝であり神なしには語れない。わたつみ(海の神。その地方地方の海、雨、水をつかさどるといわれる。海神)、やまつみ(山の霊。山の神。山をつかさどる神霊。)等の古語が残るように、自然は人々を畏怖させるに足る強大な力であり、それとの調和なしに人々の営みは成り立たなかったものと考えられる。従って、人々は常に恐れを持ち、自然の意向に聞き従ったであろうことは容易に推測できる。
 初期の仏教においては、修行による個人の輪廻からの解脱が重んじられ、それまで中心的であった自然神による絶対支配から解放され、初期的な個我の確立が完成したものと思われる。おそらく当時としては革命的な思想で、それまでの自然神から抽象概念的な「仏」を絶対上位に置き、自然は仏によって成り立つ仏の身体とされた。その後土俗的信仰の切り捨てに対する反動のためか、大衆階級において、自然神と仏教の融合を図る一派も成立する。
 後期の仏教では大乗の意味が重んじられ、個人の解脱よりも大衆の救済が重要視される。当初は死後の救済が主要問題であったが、しだいに社会改革へと向かう。従って、自然観においても自然を改革の対象として捉えるようになったものと考えられる。
 現代の都市生活者は、その価値観の中に具体的な自然観を持たず、良くもあしくも観念的であり、本質的には自然との隔絶の中にある。近年の一般的自然観は、経済的要因ともあいまって、西洋的な「自然は完全にコントロールできるもの」として捉えていたし、それこそが科学的であるとも考えていた。結果、明治期までは日常的であった「もののけ、妖怪、超人」を非合理的、非科学的として排除し、自然からの語り掛けに対して耳をかさなくなった。そのため自らの欲望を抑制する機能を失い、際限のない自然破壊が進行した。最近これらに対する反省と、全人的な人間理解のために、それまでは無意味とされた精神の暗部を組込もうとする「異界研究」や、地球全体を一生命体とする「ガイア理論」、あるいはダーウィン進化論の見直し等が起こり、先進部分においては、観念的ではあるが自然観の変貌がみられる。

日本における東洋蘭の栽培史

 さてもう一方で、東洋蘭の栽培史に付いてもおさえておく必要があろう、なぜなら思想は実践において表出するからである。専門家でない以上、残念ながら確たることは言えないのでそのつもりで読んでいただきたい。
 古くは桃山時代から駿河蘭が栽培されていたという話もあるが、真偽のほどは定かでない。およそ日本で鑑賞用に植物が室内に持込まれたのは、室町時代の八代将軍足利義政が行った東山文化以降である。広間に床を配し、仏画を中心とした双幅または三幅の掛物を掛け、その前に香炉、花瓶、燭台を置いた。銅製の花瓶に仏華を入れたのが、後に華道の立花となった。違い棚には香合、その他の茶器を飾り、下段に砂の物と呼ばれる、海岸の風景を模した盆培の松を飾ったのが、後に盆栽となった様である。
 花道初期は写実的様式であつたが、桃山末期から江戸初期頃、初代・二代の池坊専好らによって、花・枝・葉などをさまざまに曲げ整える工夫がなされ、非写実的で豪壮・華麗をその特色とする桃山様式として発展した。
 元禄期に入ると武士階級の間で厭戦的気分が流行り、それまでの質実剛健な気風を「野暮」としてさげすむようになり、趣味としての植物収集が流行った。当時収集の中心となった植物は「まつばらん」等で、東洋蘭の記載はなさそうである。
 江戸時代中期の文化文政の頃になると、商人の財力が増大し生活にゆとりが生まれ、商人の間にも「ならいごと」や植物の趣味栽培が流行った。当時、庶民の間に南画(南宗画)がもてはやされたことを考えると、中国文化や中国蘭に対する憧憬は、おそらくこの時代以降に成立したものであろう。

新たな東洋的表現の可能性に付いて

 蘭界における東洋文化に付いてのこれまでの理解が、残念ながら浅薄なものに止まっていたことは既に述べた。そこで、どうすれば東洋的価値表現を現代に有効なものと出来るかということに付いて考えてみたいと思う。但し、その全般に付いての記述は不可能なので、ここでは視覚的表現に付いてのみ記述する。
 東洋の哲学および宗教は七世紀後半には完成しており(インド仏教の最終的な経典は六百年代に完成している。また、儒教、道教の成立ははるかに古く紀元前である)、従ってそれらの教義に新たな意味を付加する余地はない。前述のように、特に後期大乗仏教においては、本来の教義に対して逆説的な解釈が付加されており意味性の変遷が見られるが、これをその教義の範疇に含んだとしても、これ以上の新たな意味性の付加は、問題を煩雑にするのみである。従って出来る限り伝統的解釈に沿って記述を進めたいと考える。
 寒蘭界の名言の一つに、「露受け葉は、遠く宇宙の彼方を指示している。」というような記述があった様に思うが、なぜ蘭の葉と宇宙が並列的に記載されているのであろうか。それはなぜ露受け葉なのか。また、初期の寒蘭の鑑賞基準では一文字咲きを最上位の花としたが、なぜ一文字咲きなのか。
 実はここに重要な鍵が隠されている。無限空間(宇宙の彼方)は水平方向の平行線によって暗示されるからである。同様に無限時間(永遠)は垂直線によって暗示され、水平線(無限空間)と交わる。すなわち、無限時間と無限空間の接束点が「今、ここ」であり、真理である。同時に、それを認識するところの自己の本質でもある。
これを古代インド仏教においては、織物にたとえて、タントラ(縦糸、経典)とスートラ(横糸、覚醒者)と表現し、縦糸だけでも横糸だけでも織物にはならず、縦糸横糸の交点が連綿と続くことにより織物(真実、現実)があるとした。
 さて、ここまで書いて、最も困難な問題に直面する事になる。「無限とは何か」を説明する必要があるのだが、未だ無限を概念として説明した者がいないのである。何故なら、意識や言葉が有限である以上、それを超えたものに付いては、正確に認識する事も、語ることも出来ないからである。禅門においては「不立文字」と言って、「それを語る者は、それを知らないからだ」という事になっている。そこで、その不可能性を知りつつも、あえてそれを行うという愚挙に出る事にする。
最初にことわっておくが、ここでは意図的に有限と無限を対立項目とする。しかし、実態としての無限は有限の対立概念ではなく、有限を包括する概念である。いや、概念化すら不可能である。従って、これはたとえ話である。
 まず、無限空間を考えるための参考として、有限の特質に付いて整理する。有限空間は当然有限なので、常に外部空間が存在する。その外部空間も有限なので、さらなる外部空間が存在する。結果として有限空間は階層構造(或いは多層構造)を持つ事になる。よって、有限空間における「ココという位置」は他の物質との相対的な関係において決定される事になる。しかし、階層構造により常に未知なる外部空間を伴うので、その絶対的な位置は未定のままである。ゆえに、「ココが何処なのか」を特定できない。
 では無限空間はどうだろうか、階層構造の無い、均質な空間が無限に続く事になるので、当然ながら外部というものが無い。外部が無いという事は、逆説として「ココから出られない」という事である。その意味で無限空間は閉鎖されている事になる。何処に行くのも自由だが、何処まで行っても常に四方は無限なので、結局、無限空間の中心から出られないという事になる。ゆえに、ココという位置は特定できるが、ココ以外には何処にも行けないという事になる。
 無限を知るという事は、「この世界が何処にあるのかという事」を知るのではなくて、「何であれココを生きるしかしょうがない」と諦める事である。「諦める」といえば聞こえが悪いが、「あきめる」というのは「明める」事でもある。世の中には「諦めなければ、明められない」ものもあるのだ。
外部が無いと言う事は、世界の全てがその内部にあるという事でもあり、ココにいること自体が直接的に無限空間の全体と関わりを持っている事になる。また、四方無限という事は、ココと別のところを区別する方法がないという事でもある。ゆえに、ココはココであると同時にカナタでもある。
同様の理由から今は時間的無限でもあるので、過去でもあり未来でもある。また、接束点としての自己は、存在であると同時に非存在でもある。
 仏教哲学者である西田幾太郎はこれを「無限円」と呼び、「無限円は無限に存在し、決して重なり合うことがない。」とした。正確に表現するなら、無限円は無限球でありその円心は球心である。華厳経では、「無限球は無限に存在し、それぞれの球に他の全ての球が映り込んでいる」とした遠大な世界を思念した。(因陀羅網)
 荘子においては、「車輪の中心は回らないが、中心がなければ車輪は回らない」といった皮肉な表現になり直接的な表現を好まなかった、真実は誰にも言い当てられないからである。すなわち、無限に存在する無限円の中心は空である。
 現象としての個物を通常の時間軸から見れば、それは生起し再び消滅する。しかし、それを無限空間という地平から見れば、一瞬の内に個物のそれぞれを無限時間が垂直に貫通するのである。
説明が長くなった、本題に戻ろう。花一輪が所有する空間を表現するのに、柱頭を中心とする正円を描くが、三角形に近い花型を表すのになぜ円形なのであろうか。また、花間を重要視するのはなぜだろうか。
 東洋の形而上的文化性において、個物は空間的に独立し、時間的に安定した、質量を持つ物体(オブジェクト)とは捉えず、個物相互の時間的空間的関係性の中で生起する現象と捉えているので(因果律)、必然的に、個物はその周囲に他の物質と相互に関連する占有空間を持つことになる。そして、この占有空間を東洋的表現として間(マ)と呼んでいるのである。しかも個物は、質量を持つ実体ではなく相互の関係性によって成立する時間的空間的な現象であるので、その中心には核が無くうつろである。それは、存在の中心(円心)から発せられた、或いは逆に無限空間から発せられて中心に至る、実体不在の現象である波紋のような同心円として認識される。(即空)
 これ以外にも、東洋的真相を暗示させる鍵は日常的に存在する。ここでは便宜上「異空間の表象」と「異空間の象徴的表現」に区分する。異空間の表象として意図されたものでは、神域を表す結界が上げられる。絵画では雲形やぼかしによって異空間を区別する。民話などで妖怪が出現する場所は、闇、淵、谷、沼、穴などで、どれも日常の世界にありながら、非日常的な異界(異空間)への入り口を想起させる。これらのもつキーワードは「底知れない奥深さ、奥行き」である。そこには際限なく(無限に)落ちていく奈落が口を開けている。
 異空間の象徴的表現では、禅僧の描く円や、枯山水、南宗画などの禅文化や、能舞台に描かれる松の木、ゲンビンと呼ばれる太極拳の紋章など多数あるが、その殆どは東洋蘭と同じくある約束や形式によって成り立っている。
 ここでは、最近のものではあるが、横山大観の「生々流転」に付いて考える。実物を見たわけではないが、写真によると水墨画風の滲んだような円によって画面が構成されている。円は宇宙を表し、円心が自己の存在の中心を表すことは先ほど示したとおりである。
 では滲みは何を意味するのであろうか。絵画表現において、極東アジアではマーブリングといわれる墨流しの技法が頻出するが、その出典である大極と呼ばれるものは「太陰極と太陽極の互いに相反するものが並立し、それぞれが相反するものを含み、それ自体は変化することなく、互いに補い合って全体を構成する。」という中国的宇宙観を表している。従って滲みは個別的なものが個別のままで溶け合うという、絶対矛盾的融合を意味している。
 以上のように東洋思想の視覚的象徴は、水平線、垂直線、同心円、球、奥行き、雲形、にじみ、墨流し、ぼかし、その他にも螺旋、渦、迷宮等多数あるが、そのどれに付いても言えることは、必ずしも古典的表現を伴う必要はないということである。それどころか実状としては、過去に表現されたものが歴史を経て古典的と呼ばれたに過ぎない。それらの真相を暗示する鍵が精神の暗部に潜んでいる限り、人間にとってそれは常に新しい問題である。

まとめ

 東洋蘭はいつ誰が見ても美しいものとは言えず、一般的には「山野草のような可憐で清楚な花が咲く、目立たない小型の野性蘭」であり、それ自体の展示ではどうにも目立たないが故に、日本的情緒、雰囲気といった曖昧な感覚的観念を頼りとしてディスプレー展示しているのが実状である。
東洋蘭を理解するには「鑑賞上の約束」という、それを象徴する記号の理解が不可欠である。この様な「形式」によって成立しているものの一般化(普遍化)は不可能である。もしそれを可能とするなら、狭義の「形式による一般化」しか方法がない。
また、日本における園芸史そのものは四百年程度に過ぎず、古典的或いは伝統的というには背景が貧弱である。しかも明治以降の近代化の中で日本人の自然観自体が変質しており、蘭界における古典的美意識は一般には古臭く新鮮味のないものとして映る。
しかもそれは、極東アジアという限られた地域の、宗教的哲学的価値観に基づく文化様式をその拠り所としているのだが、東洋蘭界においてそれらを深く掘り下げたことはない。そのため、蘭界における東洋的精神背景には核心部分がなく、曖昧で漠然としている。
例えば、各地会誌などに頻出する間(マ)の美は、本来、時空と個物との動かしがたい緊張関係を意味するものであって、余白部分に「見る側の想像の自由」を曖昧に介入させることを意味するわけではない。曖昧であるのは我々東洋蘭界の勉強不足と誤解による。
しかしながら、全ての文化様式を有意味なものとしている、「特定の価値観による意味付け」が必要であることは東洋蘭においても例外ではない。東洋蘭の美が普遍性を持たない以上、(もっとも、普遍性自体が眉ツバではあるが、これは後にする)また、極東アジアの風土と文化にその拠り所を求める以上、「特定の価値観による意味付け」がなければその存在根拠を失う。
近年の社会動向全般は、東洋的価値に新たな意味を見出そうという努力をしているが、東洋蘭界は過去的価値に固執しているのか、現代的意味を持つ東洋的価値観の新たな表現を創出できないままである。
 バブル崩壊前後の、東洋蘭の価格下落の本質は、「数が増えたから」でも「商人が悪い」からでもなく、一般社会にみる「価値観の変貌による価格崩壊」である。平易にいうなら「高額商品を所有することを自慢するバガバカしさ、に気づいたことによる高級ブランド神話の崩壊」がその主因である。蘭界が低迷状態から脱出できる方法があるとすれば、価格の維持に対する努力や、過去の銘品に対するノスタルジックな思慕などの、過去的価値観の復活ではなく、まさに現代に通用する東洋的価値観の新たな創出への模索とその表現に他ならないであろう。
では、新たな価値表現による東洋蘭の将来像とはどのようなものであろうか。それがまだ存在しない以上確たることは言えないが、その一つには、百年間に及ぶ日本の近代化の中で喪失した、精神の暗部であるところの、無意味とされたものの復権を目指す必要があると考える。
最短時間で最大目標を達成することが、誰にとってなぜ必要なのかを考えると、近代の実践的合理主義がいかに機械的で非人間的なものであるかが理解できる。東洋思想の多くはこのような直接的方法論をとらない。例えば荘子は「無用の用」を説き、一見無用に見えても意味なく存在するものは何一つないとした。また、仏教においては「空華」と呼び、自己中心的な目的達成論を戒めている。このように東洋思想とその方法論は、西洋的な近代的自我の確立を目的とせず、存在の本質を捉えそこからも離脱する「絶対自由」をその目的としている。
時代の要求に沿った東洋的価値観の新たな表現とは、おそらく、大胆で斬新な革新的価値表現などではなく、「今、ここで、なぜ花を見ているのか」という、時間と空間と人間存在という根源的な問いに答えうる、日常的で等身大の、それでありながら存在の本質に迫る価値表現でなければならないと考える。

おわりに

 本拙文を会誌「素心」に掲載するに当たり、あらためて数人の宗教学者の小論を読んだが、そこにあるのは十八世紀西洋哲学の産物である主知主義によるところの「仏教学」であった。
仏教を学問として成立たせようとすれば、この様な「知による真理の解体」という視座に立つ以外にないのであろうが、それが意味するものは、仏教に対する誤解の再生産と、結果としての「仏教の無意味化」である。
真理と呼ばれるものは、我々の「理性」或いは「知」によって把握されるものではない。何故なら、「学問」という行為、すなわち普遍的客観に立つこと自体が、特定の立場を持つ有限なものとして我々を規定するからである。
また、いかなる現象も我々の五感を通さずには認知されないのであり、偏向なき客観など有る筈も無い。その意味で我々には、現象の実体を知る手段が無いのである。
主観によらず客観を頼まずに、事物をまるごと「あるがまま」に甘受する以外に、東洋の本質を知るすべはない。「理性」が本来の意味を発揮するのはその後である。