小森 光彦  _

 今、「地球環境については持続型の発展」が話題である。私の仕事が環境汚染の防止に関係していることから、こういった内容について議論する機会も増えてきた。

 言うまでもなく、持続型の発展とは地球環境を守りながら人類が発展してゆくという構図なのであるが、はたしてこれが可能かどうかが問題である。1つしかない地球で現在、年間9千万人もの人間が増加している事実は、地球と言う有限物に無限増加をはかるという原理的に不可能な状況に進んでいることを示している。

 さて、東洋蘭界も21世紀に近付き、趣味実益の今後の方向を考える意味でも、蘭界の「持続型の発展」について、多角的な将来予測が必要となってきているのではないだろうか。

 現在の春蘭栽培技術は昭和50年代のクレイボール硬質鹿沼土の出現によって、中上級者はもちろんのこと、初心者でも全滅させるような決定的な失敗がなくなった。その結果、余剰株が市場にあふれ出しはじめ価格も右肩下がりに低下しはじめてきた。これは増殖株を買い入れる人間が少なくなっているためで、この世界での需要と供給のバランスが崩れかけているのである。しかも、古典園芸の世界は総じて閉鎖的で簡単には愛好者が増えない。ようするに地球と同じで有限なのである。

 私が以前役員をしていた愛好会でも新しい趣味者の増加を計画し、増殖株の無料配布、栽培法の講習等を行ったが、その時は入会しても継続して会を形成する人は少なく、老齢化や諸般の事情で脱会する人数とを合わせるとほとんど会員数は変わらなかった。

 この事実は会員増加には限度があり、そこに会員の蘭が無限に増殖しつづけるという構図が出来上がるのである。

 出入りの蘭商にそれを引き取る力がない場合は一部の余剰品には値段もつかない事態となってくる。それならばと、世界へ向けて蘭を輸出する話が出るが、極東の一部だけでも販路の進まない状況を考えれば、基本的にライフスタイルや思考の異なる欧米等の人々に高価で、しかも地味な東洋蘭を販売するのは無理がある。

 これは地方の小さな蘭会の問題であるが、同時に蘭界全体にもつながる問題でもある。

 冒頭で21世紀の予測が必要だといったのは、蘭界の現状はどうも地球環境問題と似かよっているからである。

 蘭の価格が維持され、蘭界も安定存続するという「持続型の発展」は原理的に不可能なのであろうか。大げさに言えば、経済学者に委託し何年後にはこの趣味の末路がやってきて、自慢する品種も人もいなくなり花屋さんの端にほおっておかれる植物となるのかを割り出して貰い危機感を煽ることも必要かも知れない。もし、その結果、東洋蘭界の未来は不毛であるとすれば、新しい趣味者や若い商人は育たないであろう。

 現在の愛好者はこれからも栽培し続けるが、蘭のみが際限なく増殖し続けることは蘭界では原理的に無理である。そのためには今の東洋蘭観や蘭界の組織構成などを見直す必要がある。このことから表題に掲げた閉鎖性蘭界における新しい経済学が必要と考えるのである。

 既に、昭和50年代初めには強健で増殖力の有る中国春蘭が蘭界の収容能力を上回り、中心品種以外は暴落とも言える価格で大量に韓国や中国へ渡り姿を消してしまった。

 蘭会での品種間の適正価格は趣味者人口と増殖株数が必然的にある平衡状態に収まる必要があるが、過去、中国春蘭ではこの限界に趣味者や業者が理性的な知恵を出さず、破滅的に進んだという結果であった。

 日本春蘭にも増殖に伴い現代人の気質に合わない品種は次々と同じ運命をたどる可能性が見えはじめている。現在、日本春蘭の場合は趣味者全体が日本(あるいは韓国を含めて)の地理上に一様に満遍無くいるわけでなく、例えば、ある品種の増殖パターンは歴史的にも趣味者密度も関東と九州ではかなり違うから非常に偏ったことになっている。

 さらに、関東の趣味者と九州の趣味者とではまだ感覚に隔たりがあり、日本春蘭の場合、過去に銘品が採取登録されてきた歴史において先進地と後発地の違いで欲しい品種にも違いが見られる。関東方面の趣味者間では既に初級品種が急増しており、急激に余剰株の市場流出が進んで価格低下が著しい傾向となり、平衡状態の限度を超えようとしている。このような状況に業者はこれら余剰品種の拡散のための工夫を始めた。

 最近、東京ドームの世界蘭展を始めとして、各地の先進蘭栽培地域ではマーケットを巨大にしてこれらの余剰株を新しい趣味者の開拓によって消費させようとしているのもその一つである。

 ただ、これらの販売は他の園芸と同じ価格感覚でいる初心者の購買意欲をそそる程度まで価格を低下させる必要から、余剰株については銘品であろうとなかろうと売るためだけの道具となってしまうことが多く、品種の値崩れを引き起こす可能性を持っている。

 しかも、この方法では一度買ったお客は同じ物を買わないから、年を重ねるうち必然的にさらに大きなマーケットを必要とし一方向の非循環型システムとなって最終的にはやがて限界がやってくる。

 それならということで、これら増殖した蘭を九州、その他後発地域へ運んで消費させることも考えられるが、情報が進んでくると後発地域の人達もすぐに追い付いて、同じような事態が各後発地でも起こり、やがては余剰株が世の中にあふれてしまいはじめる。

 他方、業者はこれら余剰品種の拡散のため、韓国や台湾へも輸出し始めて販路開拓に乗り出しているが、やがては同じような理由でいきづまってくるに違いない。

 このように考えると、よほどの意識改革がないとこの蘭界は将来破滅の方向へ受動的に向かうことになるのである。

 ところが、一般にはこのような見方は悲観的として歓迎されずに、関係者はいずれ誰かが「なんとかしてくれる」と勝手に考えたがる傾向があるが、それぞれ自分で真剣に考えてみれば、それが容易でないことが分かるはずである。

 そして、我々関係者は日頃いかに不確かなもの、不透明なものに頼っているか理解できるのである。

 今春、春蘭全国大会では多数の参考品種が登場した。これらがやがて登録され始めると銘鑑上の下位品種は必然的に消えてしまう。しかしながら、これら新登録品種といえども、に魅力がないと数年のうちには消え去ることも考えられるのであるから、後で述べるように趣味者の立場では、慌てずに品種の選定を行うなり、特徴の有る芸のはっきりとした品種に絞って栽培するなり、自分がほれ込んだものにだけ没頭するような純粋さを追及することが賢明な方向といえる。

 一方、業者は現在の流通形態を洗い直し再編する必要性がある。現在、全国組織があるといっても、それは個人経営の延長線上に存在しているだけであり、戦後から基本的な経営形態に大きな変化は見られない。これでは、いくら良い蘭が出現しても価格の維持は難しい。春蘭界には園芸史上に優れた芸を持つ永久に残すべき大切な品種群がある。これらの品種についてはブームがどうであれ銘鑑上も、価格上もそれにふさわしい待遇で維持してゆくべきである。それが春蘭界の持続的発展につながるのである。

 ところが、現在の状態ではそれが難しい。いつのまにか抜け駆けし、価格を落として個人の利潤を追及するものが出るからである。蘭会の混乱を考えないこれら小心業者や一部の半プロは資金に乏しかったり、新品種の下取りに出したりして買い支えるという行為をしないからである。これはひとえに戦後今まで業者と趣味者の入り交じった組織で運営してきた結果、大棚の資金をあてにしながら運営し肝心の業者サイドの組織が未熟なまま現在まで至ったという弱点があるため、いざとなると意志統一が図られ難いということを示している。

 この業界が園芸産業のなかでいまだに改革されず、戦前の販売形態を引きずっていえる現状をみると、まず全国大会の余興にあるセリから業者のみで運営する方向に転換を始めてゆくべきであるが、実際は早急には難しい状況といえる。しかし、春蘭界の未来への展望を考えた場合、業者間でのみ取引が中心となった蘭会が必要なことは、他の種々の販売組織を見ても明らかである。

 ただ、現実を直視すれば、まず、しっかりとした組織固めをすることが第一であり、大銘品の価格を維持するため一人として安売りをしない、させない団結した意志統一が必要である。

 これには昨今の低迷する日本経済を支えるための種々の施策も参考になろう。例えば、国や地方自治体では赤字公共債を増やしてでも公共投資が盛んに行われていることや、金融秩序を維持するため公定歩合が引き下げられ体力の弱い銀行の保護を行っていることなどである。

 賛否はあろうが、このようなケインズ流ともいえるの施策は蘭会にも当てはまる。

 まず、業者維持のために業者間の取引価格は低くおさえ、流通を盛んにし利潤の安定を計る。さらに安定した相場作りとして、愛好者のセリでも重要品種の価格の買い支えを行い、市場からあふれ出たこれら蘭界を支える大銘品についてはたとえ借金してでも買い上げてゆく。そのためには資金繰りの乏しい業者には互助組織を設けたり、組織の中に運営金をプールし、愛好会からの余剰苗を引き取るシステム作りも必要となる。

 こうした行為の繰り返しは徐々に趣味者と業者の場合わけを生じさせ、半プロといった中途半端な存在はなくなるはずである。増えたといっても東洋蘭の増殖には限度があり、業界が組織だった取り組みを行えばしだいに整理の方向に向かうはずである。

 蘭界の問題点の一つにはこのような中途半端な立場の趣味者が多く存在したことが一因となっていた。

 一般に、セリから趣味者を排除すると趣味者の愛好意欲がなくなるとの指摘もあるが、これらの施策は重要品種についてのみ行われるだけでよく、現行の愛好会のセリレベルでは一般の趣味者にはそれほど違和感がなく移行されるものと考える。

 一方、一般趣味者へは新しい指導者制度の導入を提案したい。これは初心者の場合によく見られるが、東洋蘭を他の園芸植物のように、ただかわいいとか珍しいといった現代感覚で捕らえてしまって古典園芸の本来の楽しみ方を知らない愛好家が多くなってきているためで、東洋蘭の持つ独特の存在感、貴重性をうたい、春蘭の楽しみ方を今より一層静的な、蘭の持つ典雅の世界へ方向づけするような道を指導できる指導者の育成や体制を構築すべきであろう。

 また、現在の趣味者に対しても、新種の紹介だけでなく銘鑑品種から自分の好きな種類のみを集め、品種の特性を追及したり、巨大な株立ちに満作の花を咲かせる自慢会として審査の方向をあらためてみるのも一法である。

 さらに、古い赤花登録品でも驚くような発色の写真が雑誌に掲載されるとその品種の価格が上がってきたり、昨今の覆輪ブームなども東洋蘭誌の影響により覆輪物の価格上昇が見られるのは、基本的に同一品種数がまだ不十分な証拠であることや中堅趣味者にメディアの影響が強いことを示しており、これらを利用して現在の品種群だけでもまだまだ未知数の領域を残している園芸であることを意識改革して行くのも面白い。

 以上、これらの(案)は業者組織の問題にしても一般の経済活動からいえば当然の改革であり、趣味者の楽しみ方についても東洋蘭の本来の特性を愛でるといった基本的な立場を言い換えただけのことである。

 つまるところ、来るべき21世紀の春蘭界は東洋蘭栽培の原点復帰への道をたどるしかないように思われる。